2026年05月02日
【アーカイブ掲載】 「ありがとう」が残る建築
— 救急棟解体で見えた、本当に大切な価値
当時の出来事を振り返りながら、設計において大切にしている考え方をご紹介します。
建物には、いつか役目を終えるときが訪れます。
どれだけ大切に使われてきたとしても、
医療の進化や機能の更新の中で、
建替えは避けて通ることのできないものです。
それでも——
その建物が、どのように使われてきたのか。
そこにこそ、設計の本当の価値が、静かに表れるのだと感じています。
自分たちが設計した建物を、解体するということ
進行している増築工事の中で、
既存の救急棟を解体する工程がありました。
この建物は、約10年前、
私たちが設計・監理を担当したものです。
設計者として関わった建物を、
同じプロジェクトの中で見送るという経験。
決して珍しいことではありませんが、
その場に立つと、やはり特別な思いが胸に残ります。
壁に残されていた、ひとつの言葉
工事関係者の方から、
「壁にメッセージが残されていました」とお聞きし、
写真を共有していただきました。
そこに記されていたのは、
「ありがとう HCU」
という、短い言葉でした。
日々この場所で働いてこられた医療スタッフの方が、
残されたものです。
その一言には、
この場所で過ごされた時間や、
言葉にならない想いが、静かに込められているように感じられました。
建物の価値は「使われ方」の中にある
この言葉に触れたとき、
あらためて気づかされたことがあります。
建物の価値は、
見た目の新しさや設計の美しさだけで決まるものではない、ということです。
安心して働けたか。
迷わずに使えたか。
日々の支えとなっていたか。
そうした積み重ねが、
最後に「ありがとう」という言葉として残るのだと思います。
10年で役目を終える建築の意味
今回の救急棟は、約10年でその役目を終えました。
短く感じられるかもしれません。
しかし医療施設では、
機能や設備の更新が求められるスピードはとても速く、
時代に合わせた見直しが欠かせません。
私たちは、こう考えています。
大切なのは、
「どれだけ長く残るか」ではなく、
「使われている時間の中で、どれだけ価値を発揮できたか」
という視点であると。
次の建築に引き継ぐべきもの
今回の出来事は、
私たちにとって、大切な学びとなりました。
これから新しくつくる建物に求められるのは、
性能や機能だけではありません。
そこに関わる人にとって、
自然に受け入れられ、
安心して日々を重ねていけること。
そして、いつかその役目を終えるとき、
同じように「ありがとう」と感じていただけること。
それこそが、
これからも大切にしていきたい設計のあり方です。
建物はかたちとして残りますが、
本当に残るのは、そこで過ごされた時間や記憶です。
今回の救急棟に残されていた言葉は、
設計者としての責任と向き合うきっかけを、
あらためて私たちに与えてくれました。
これからも、
使う人の気持ちにそっと寄り添う建築を、
丁寧につくっていきたいと考えています。